兼好法師の再発見

没年1350年(?)、68歳(?)で亡くなったという伝えから逆算し、生年は1283年(弘安6年)と推定されている。鎌倉時代末期(1185-1333)から南北朝時代(1336-92)に生存し、徒然草の作者として知られる。その冒頭の一節はあまりに有名だが、没後しばらくは注目されなかった。いわば、後の時代に再発見された著作であり人物なのだ。

つれづれなるまゝに日ぐらしすずりにむかひて心にうつりゆくよしなし事をそこはかとなくかきつくればあやしうこそ物くるほしけれ

正徹本 1431年(永享3年)写

これまで特に関心を持ったことがない卜部兼好(うらべけんこう)という人物に何となく興味を抱いた。きっかけは彼が書いたとされるつれづれ草の書き出しにある「物くるほしけれ」である。

自分で文章を書いて思い当たることがあったのだ。学校でいやいや習った古典の知識がいかに浅薄なものか、よくわかる。そして、いま70歳にして、僕は卜部兼好とその著作を自己流に再発見しているのである。その解釈が正しいかどうかは問題ではない。

阿呆老人

I塾渋谷校の行政書士本科には受講生が25名ほどいる、その最年長は僕だろうが、それは何ら尊敬に値しない。漫然と生きて来た阿呆(あほう)というだけだから。

「70 歳にもなって、なぜ試験勉強なんかしているんだ」ときどき、そんな声が聞こえてくる。「放っておいてください、阿呆らしいことをしているだけです」そう応(こた)えるしかあるまい。

Welcome back

30年ほど前だったろう、あるいは父が現在の僕ぐらいの年齢のころだったかもしれない、読書のほかに趣味のない父にハーモニカを贈ったことがある。尋常小学校か旧制中学校のとき、ハーモニカを吹いていた、という話を聞いたからだ。

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父が遺した文庫本を整理しているとき、本箱の奥に隠すように置いてあったハーモニカを発見し、義母には何も言わずに持ち帰った。故人が吹いたことがあると思うと、懐かしいような不思議な感懐に包まれた。

ジャズハーモニカの奏者として著名な Toots Thieleman(1922-2016)の演奏を聴いていると、泪が滲んできた。ずっとその世界に浸っていたいと思った。Old Friend の歌詞の末尾にある Old friend, welcome back into my life again という一節のように、死んだ父があらためて僕の人生のなかに戻ってきたように感じた。

彼が90歳のときの演奏だ、切々と迫ってくるものがある。

潮騒と雨音

一時帰国中の娘と婚約者といっしょに家族旅行をした。その前後、彼らは自宅に泊まったので、三日を共にしたことになる。

正月や夏に家族で館山に旅行するようになって7年ほどだろうか。いつも西岬海岸の松庵に宿泊する。同じ海辺だが、そのときどきで感じるものが違う。今回は新しい家族の一員が加わった。

館山への往路と復路、西岬海岸の散歩、食事をしながらの会話、朝夕の潮騒を聞きながら、若い二人はどんなことを考えたろうか。

僕の骨はこの海辺に散骨してもらうつもりだ。死後、僕という生命体の何かが永続し、現世をいまと同じように意識できるとしたら、彼らを見守りたいと思う。

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夜、誰もいないロビーで遠くかすかに聞こえる潮騒を耳にしながら、少し最近の自分を振り返る。また、周りの流れに流されているような気がする。

夜半から潮騒に雨音が混ざって、波の音がよく聞こえなかった。翌朝、御嶽山の麓で震度5強の地震があったという。

 

MTBで檜原へ

約30年ぶりで東京の最西端にある檜原村を訪ねた。友人と二人、宿を取らずに村営駐車場にテントを張って一夜を明かした。

新月から間もない三日月が山の端に隠れると、星がよく見えた。夜10時ごろ眠れないでいると、何か生き物が動く気配を感じ、体を動かさずにいると、体長1mほどのキツネがまぢかで何かを食べていた。

その小動物が去ったあと、もっと大きな動物もいると思い、クルマのなかに入って寝た。実際、クマも出没するらしい。友人は日中、サルの群れを見たという。

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檜原街道沿いに「たなごころ(掌)」という名のパン工房がある。土日だけ営業している。女性二人できりもりしているが、さわやかで感じのいい女性たちだ。焼きたてのパンの幸せを味あわせてもらった。http://www.tanagokoro.biz/

海を見て松庵を思う

娘から2年間預かったクルマを西岡崎から東京まで運転するのに、高速道路を使わずに国道1号線をひたすら走った。

理由はいくつかある。1) 3年ぶりの運転なので高速を避け一般道を走りたかった。2) 時間がかかってもいいから、休みたいときに休みたかった。3) 費用を抑えたかった。4) 性格の依怙地さだろうか、ひとと同じことをしたくなかった。

西岡崎を午前11時に出発し、大田区内の目的地に午後8時に着くまでの9時間、何ヵ所かコンビニでサンドイッチや飲料を買い、トイレを借りた以外は、ずっと走り続けた。窓をあけ、風を受けながら、まるでMTBで走るように。

予想に反して、国道1号線の半分以上は自動車専用道路になっていて、海沿いを走るから気持ちがいい。あまりの眺望のよさに、何度か叫んだほどだ。箱根新道も気持ちがいい。廣重が描いた緑の濃淡のなか、エンジンブレーキをかけながら走る爽快さは高速道路では味わえないだろう。MTBでは走れないと思いながら走った。

有料区間は横浜新道と第三京浜だけだった。軽自動車だから合わせて560円で済む。

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振り返れば、僕の人生は高速道路ではなく、一般道だろう。一般道というより悪路だろう。もともと山歩きや自転車が好きで、自動車の免許を取得したのは35歳のときだった。60歳で一度失効させてしまったぐらいだが、これはだらしない性格による。

奥多摩縦走と館山トライアスロン

トライアスロンの準備も兼ねて、奥多摩縦走(御岳→大岳山→鋸山→御前山→惣岳山→奥多摩湖)を試みました。終日霧のなか、全行程7時間半、いい加減な二人の楽しい山行でした。最後の延々とつづく下り、きつかった。

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https://goolee0.wordpress.com/2016/04/04/okutama/

トライアスロンの事務局に確認したところ、僕の愛車のMTBでは参加できない由。ロードレーサーでないといけないそうです。トライアスロンは競技なのですね。参加は見送ろうかと考えています。

過客とは? Travellers?

松庵から芭蕉庵や蕉門を思うように、過客もまた『奥の細道』の「百代の過客」を思い浮かべる人が多いのではなかろうか。以下、その冒頭部分を現代かな使いに改めて引用したい。

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月日は百代の過客(かきゃく)にして行きかう年もまた旅人なり。舟(ふね)の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老いをむかえる者は日々旅にして旅を栖(すみか)とす。

古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲(へんうん)の風にさそわれて漂泊の思いやまず。海浜にさすらえ、去年(こぞ)の秋、江上(こうじょう)の破屋(はおく)に蜘(くも)の古巣をはらいて、

やや年も暮れ、春立てる霞(かすみ)の空に白河の関こえんと、そぞろ神の物につきて心をくるわせ、道祖神のまねきにあいて取るもの手につかず、もも引きの破れをつづり笠の緒(お)付けかえて三里に灸(きゅう)すうるより、松島の月まず心にかかりて、

住める方(かた)は人に譲り杉風(さんぷう)が別墅(べっしょ)に移るに、
草の戸も住み替わる代ぞひなの家
面(おもて)八句を庵(いおり)の柱に掛け置く。

花となるより根となろう

学生の頃、ラグビーをやっていました。ラグビー部には、「花となるより根となろう」という言葉が受け継がれていました。

チームの「勝利」という大きな花を咲かせる為には、やはり根という存在が必要不可欠である。チームの為に、花を咲かせる為に、一人一人が自ら喜んで根となることに徹するよう指導されました。

本日、お客様からいただいたコメントの中に、「見えない所で、朝6時から掃除をしているスタッフさんがいて感動した」というコメントをいただきました。

そのスタッフを心から誇りに思いました。

見返りを求めず、お客様のために。怠け者の自分には、それがどれほど大変なことであるかわかります。

でも、頑張っているスタッフの為にも自分は怠け者であってはいけない。自分と縁あって一緒に仕事をしてくれる全スタッフの為に、自分は誰よりも身を削り働かなければいけない。全スタッフの生活を少しでも豊かに、自分と一緒に仕事ができてよかったと思ってもらえるように頑張らないといけない。

「花となるより根となろう」