洲崎灯台

【このブログ投稿の2週間後ふと思い出した。小説「大菩薩峠」登場人物の一人、駒井甚三郎が幕府の旗本職を失い、房州の地で密かに造船所を開設した、その根拠地がまさに洲崎だったではないか、と。そうだ、僕は駒井こと小栗忠順を求めて洲崎に行ったに違いない】

中里介山著、大乗小説「大菩薩峠」を読みなおす

韓国の友人と二人、新宿バスタから高速バスに乗って館山駅まで行き、さらに路線バスで30分ほどの洲崎灯台へ行った。海を見たくて何年か前に訪ねたときの記憶をもとに行ったのだが、バスを降りた瞬間、「ここはどこだ、来たことがない」と思った。

灯台はたしかに丘の上にあるが、予想していた場所とは違い、観光地らしくない。ほとんど人がいないし、小さな店が一軒あるだけだ。その店に入って何度呼びかけても、応答すらない。仕方なく海に向かってやぶのなかの細道を歩くと、誰もいない海岸に巨大なタイヤやブイなどのゴミが散乱していた。

海を見たあと、別の細道を辿たどると、藪刈やぶかりをする老人に会ったので、「食事するところはないか」と尋ねると、先ほど訪ねた店でラーメンぐらい出してくれる、という。この老人が細道を整備していてくれたのだ。海に向かう藪の奥に草取りか畑を耕す老婆がいて、道を聞いたが返答を聞き取れなかった。

店の方に向かおうとすると、むかし灯台守が歩いたという登り道を示され、灯台まで登った。そこに若い人たちがいて少し安堵した。韓国人だったので、僕も韓国人を装って話しを交わした。鴨川に住んでいるといった。

灯台のある丘の上から下って、先ほど入った店に行くと、老婆と客人らしい漁師ふうの老人がいた。何か食事はないか聞くと、ラーメンならできるという。二つ返事で注文した。即席ラーメンが出てくるのだろう、と思って待ったが、なかなか出てこない。

館山駅まで戻るバスの時刻を気にしながら待つ15分ほどを、ひどく長く感じた。ようやく出てきたラーメンを見ると、何と昔なつかしい本格的ラーメンではないか。思わず叫んでしまった。その味はまさにおふくろの味で、韓国の友人も格別においしい、といった。

僕は愉快でたまらなかったが、友人には少し申しわけない気がした。「こんな場所に来てくれてありがとう」といった漁師ふうの老人の言葉が沈むように心に残っている。

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